今年も8月29日から30日にかけて、24時間テレビが放送されました。「チャリティーマラソン」など、多くの寄付金を集める夏恒例の番組ですが、批判も多いようです。
かつて、NHKの「バリバラ」という番組で「感動ポルノ」と痛烈に批判されていました。筆者が見た(とても短い)範囲内で、24時間テレビに対する思いをまとめます。
1 「感動ポルノ」という批判
この言葉は、2016年の夏にオーストラリアのジャーナリスト兼コメディアンであるステラ・ヤング氏のスピーチを「バリバラ」が引用し、24時間テレビを批判(パロディ化して放送)したことに始まります。その後、この「感動ポルノ」という強烈なワードは、小学校の運動会で行われる組体操への批判にも使われるなど、広まっていきました。
※ NHKのサイトでは放送回を特定できなかったため、参考までに、以下に別サイトのリンクを示します。
2 24時間テレビは、なぜ感動を誘うのか
「がんばっている」
障害者という弱者が困難を乗り越えて頑張っている
→ 自分よりも苦労している人間がいる
→ 応援しよう(母性本能?)or 自分もがんばろう(意欲向上?)
といった構図でしょうか。しかし、これには障害者である当事者たちからは違和感を覚えることもあるようです。
障害者にとっての「普通」がなぜ感動の対象に?
例えば身体障害者の中には、こんな人もいるでしょう。車いすで出かける、スポーツをする、楽器を演奏する。それは普通のこと。頑張っていないわけではないが、頑張っているわけでもない。いや、頑張っているのは障害者も健常者も同じ。特別なことではない。
また、こんなケースもあるのでは、と想像します。スポーツに励むのは、崇高な理念がるわけではなく、「痩せたいから」「モテたいから」「運動後のビールがおいしいから」かもしれない。しかしこの内容では感動できない。チャリティーにならない。
そこで、「感動ポルノ」の流れは以下のようになります。
例)突然の病気に見舞われる → 落ち込む → 周囲の支えで乗り越えようとする。
→ リハビリやスポーツや芸術に打ち込んで世の中の人に認められる → 周囲の人に感謝を述べる → それを見ている視聴者(出演者)が感動する
このパターンのマンネリ化によって、批判の声が徐々に大きくなっているのでは、と思います。
3 今年度の放送を見て
チャリティーマラソン
まず、やっぱりマラソンは微妙。星野真里さんは、練習も本番も、ものすごく苦労し、頑張っていたことと思います。しかし、なぜ何十キロも走らなくてはいけないのか。42.195キロではだめなのか。よく分かりませんでした。
エンタメ
SixTONESのダンクシュートの演出を含むダンス発表は圧巻でした。様々な国、障害種別の人たちと一つの作品を作り上げたのは、素直にすごいと思いましたし、構成を考えた人、スタッフ陣の仕事量は想像を絶するものがあったのではないかと思います。
その他、イッテQのメンバーのダンスや楽器演奏など、「文化祭」のような雰囲気は普通に楽しめました。
4 24時間テレビは、こうあってほしい!
というわけで、今年の24時間テレビは普通のエンタメとして、楽しい部分もありました。かくし芸大会、文化祭のように面白く見れました。
しかし、「視聴者に、社会福祉に目を向けてもらう」という点について期待している私としては、もう少し頑張ってほしいことがあります。
社会福祉に関する多くの「知識」を普及してほしい
世の中には「福祉」の力を必要としている多くの人がいます。今年、様々な国や知的障害のある人、身体障害者のダンサーなど、様々な障害種の人たちが出演していたのは良かったと思います。
今後も、もっと多様な障害種別があること、彼ら自身の生活の工夫、必要な支援方法などの知識を広めてほしいと考えています。
障害者が共に暮らす社会の実現に向けて、実践例や工夫を紹介してほしい
福祉施設として成功しているケースや、障害者雇用の現場をしっかりと取材してほしいです。
「チャリティー」の裏にあるものは??
チャリティーが必要な現状が示すものまで、目を向けてほしい。国の政策が間違っているから、足りていないから、寄付が必要になってしまっていないか?
法律やその運用に、改善点はないのか?本来ならチャリティーなど必要のない世界が理想なのではないか?そんな内容にまで発展させてほしいと思うのは、欲張りですか?
5 最後に
医学モデルから社会モデルへ、という認識が一般的になるように。
障害や様々な境遇の人が一緒に生活することがあたり前になる社会になるように。
テレビ離れが進んでいるとはいえ、テレビ番組はまだまだ大きな影響力をもちます。
来年の24時間テレビはもう少し長く見てみようかな、と思った2026年の24時間テレビでした。
